私は、終戦時7歳。4月に学校に上る年でした。その年の3月、家は焼け、学校は焼け、毎日母たちと逃げ廻る毎日でした。
3月と言えばまだ寒い中、どこをどう逃げたのか私は覚えていませんが、食べるものを出してくれる人がいたので生き延びて、今があるのだと思います。
それから何年かは、あちこちに間借りしての生活でした。小学校は3回ぐらい変わりましたので、友達は出来ませんでした。
戦後何年かして、父と兄がバラック小屋を建ててくれ、みんなで一緒に住めるようになりました。
今、恐ろしい戦争に向かって話が進むなか、絶対に平和を守らなければならないと思います。
富岡西4丁目 A.S