1945年3月9日夜、母の緊迫した声によび起こされました。日頃から整頓させられていた枕元の服、入学時に着る金ボタンのオーバー・ランドセルを背負い、避難の準備が終わってはじめて、騒音と煙に気づきました。東京下町の大空襲の幕開けです。
父は中国に衛生兵として出征、兄は取手に学童疎開、残るは母と私の2人です。
急がされて外に出ますと、右手20軒程先の方から火の手が迫って来て、この家とはお別れだなと思いました。避難する雑踏、怒号、そしてすさまじい破裂音が防空頭巾を通して耳を襲います。ただ不思議に恐怖心は無く、痛いほどに握られた母の手を信じていたのです。
始めのうち避難を誘導する人もいたようですが、空襲が熾烈さを増すにつれ、その声も無くなった様です。何波にもわたる輪を縮めていく波状攻撃で、退路を断たれたのです。
四方が火の海となり、その火が風を呼んで台風並みになり、煙と飛びかう火の粉が、着ていたオーバー・ランドセルに瞬時に燃え移り、慌ててそれを捨てた時、ランドセルの中の筆入れがカタカタと鳴っていたのが妙に印象的でした。(次号につづく)
(富岡西 Yさん)