激しい音、炎、そして無数のB-29爆撃機の一夜が白々と夜明けを迎えたのです。
炎と煙の中に昇る太陽、赤黒い異形なので驚きましたが、あれだけ激しかった爆撃もやみ、人々も絶望と疲労の中に一時ながれた静寂が不気味でした。
やがて周りが明るくなり目に飛び込んできたのは、累々と横たわる遺体でした。どこから来たのかトラックと多数の兵隊が手に鳶口(トビクチ)を持って、鳶口で遺体をトラックに放り込み始めたのです。見ているわれわれはただ、茫然と立ち尽くすのみでした。死の直前のようでしたが、鳶口を刺したところから血が噴き出しました。まだ生きていたのです。気を取り直した人が、肉親を探す絶叫に近い声もそこ、ここに響いておりました。
こうしてお昼近くに家に帰りましたが、もちろん家は全焼しており、お店に残された椅子にさっきまで寝ていた自分の布団が被さって燻っているのを見た時はじめて涙があふれました。母は、どこからかおにぎりを貰ってきてくれましたが、濡れた体にしみ込むようでした。
私は、7歳にして決して消し去ることの出来ない地獄絵をみたのです。
――平和は、あらゆる美しいものの母である――
(富岡西 Yさん)