攻撃も激しくなり、人々は暗い方へ逃げながら、途中で何度も転びましたが、その何度かは死体につまずいて転んだのでした。まだ燃えていない家屋も、爆発するようにボーンという音と共に燃え上がるのです。逃げる気力も体力も尽きた老人は座禅を組み、死を待つばかりなのです。また、炎の恐怖と絶望からか異常をきたし、奇声を発して猛火の中に消え去る女性もいました。
手を離せば吹き飛ばされる強風の中、母は何を思ったか私を電柱に縛り付け何処かへ行きました。頭上を見るとその電柱が燃えており、コールタールが炎と共にしたたり落ちてきて、まさに恐怖の一瞬でした。(後で母に聞くと、身を守る毛布を探していたとの事)
当時下町は、排水が悪く所々に池のような水たまりがあって、その一つを見つけた母は、まるで風呂にでも入るように首までつかり、焼け残ったトタン板を被り水を掛けてくれましたが、折しも寒さ明けやらぬ3月初め、朝方まで浸っていたのですが水の冷たさは記憶ないのです。そしてかなりの人がこの水たまりで命をつなぐ事が出来たのです。
私の身を包む毛布が引っ張られ、隣を見ると赤子を抱えた人が無言でそれを強い力で持っていたのです。それを見て母は抗議しましたが、その手を離さず頭を下げるのみ。母が半分切ってあげると、すぐ赤子をくるんでいました。
(富岡西 Yさん)