新婦人金沢支部の代表として初めて参加してきました。
第五福竜丸の被爆から63年目の今年、国連で3月27日から、核兵器を法的に禁止する条約制定のための会議がやっと始まりました。
本来ならば唯一の被爆国として、核兵器禁止の先頭に立つべきの日本政府は不参加を表明、会議場の日本政府の空席に「日本も参加を」の願い込めた一羽の折鶴が置かれています。
みたびの被爆に怒りが
今年のビキニデーでは、この国連の動きや『ヒバクシャ国際署名』への取り組みについて多く語られました。私が参加した分科会で、ビキニ事件が原水爆禁止運動の出発点となる迄の流れを学びました。広島、長崎、ビキニと三度(みたび)核兵器の被害を受け、怒りをもって杉並の主婦達が始めた「核兵器禁止署名」はまたたく間に全国に広がりました。有権者数の半数を超え、その力が第1回原水爆禁止世界大会(1955年8月)の開催実現へとつながったのでした。
被爆者の思いを世界に
今世界中で取組まれている「ヒバクシャ国際署名」が地球を駆け巡り、核兵器廃絶の大きな力となることを願っています。
今回のビキニデー参加で、ある大学生から一つのことばを学びました。“一番怖いのは記憶の忘却です”と。これからもずっと私は被爆者の方々の思いを決して忘れることなく繋いでいきたいと思います。
(並木・K)